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出雲大社
出雲大社の歴史
出雲大社を奉祭する国造家は西御殿の千家家と北御殿の北島家に分かれていた。それは南北朝時代の興国四年(1343)、出雲(千家)孝宗と弟・(北島)貞孝が袂を分かち、国造家が二分したことにはじまる。大社の祭事は基本的に奇数月の一・三・五・七・九・十一月を千家の抱月、偶数月の二・四・六・八・十・十二月を北島家の抱月とする取り決めがなされ、分掌制で行われてきた。現在のように出雲大社宮司が千家国造家に一本化されたのは明治の始め、千家多尊福(たかとみ)大宮司のときからである。参考文献 「古代出雲への旅」 関 和彦著より 中公新書