【 旅の栞 】

萩の探訪

松下村塾  示 諸生

 村塾に於いて礼儀作法を寛(やかましくいわぬ)にし規則(きめた事)を擺落(ハイラク・ふるいおとす)するは(それを以って)禽獣(鳥けだ物)夷狄(野蛮人)を学ぶのではない。
 亦それで(あの聖人の礼儀をそしった)老子や荘子の流(りゅう)や(晋の世に)竹林(のなかで気儘に酒を飲み遊び暮らした七人、竹林七賢)などを慕うという訳でもない。
 ただ今の世が礼法の末造(進運の末)に当たり流れて(推し移って)虚偽(敬の心なく外飾りのみ)刻薄(愛の心なく人情うすい)と為ったから誠朴(虚偽でなく心から誠である)忠実(愛の心にて万事を心配する)を主として之を以って之(虚偽刻薄)を矯揉(ためなおす)しようと思うのみ(にて要するに虚偽の礼儀を改めて実意あるものとする為である)新塾(安政四年十一月開設)が初めて設けられた時諸生は皆この道(虚偽を去り誠実を以ってする)に率って相交わり疾病(やまい)艱難(その他の困苦)の折には互い相扶持(たすけ)し力投(リキエイ・力わざの仕事)事故(その他の出来事)の時には互いに相労役(はたらく)することは手足が(頭目の命令に従うが)如くする。
 (然りは語句を強める言葉)骨肉の(離れず相助けて運動するが)如くする。
 こうした塾風ができ増塾(安政五年三月)の役に多く工匠(大工)を煩さずに出来上がった事は職として(その原因は)是(その塾風)によって容易に出来上がった(もしこの塾風がなかつたなら僅かの工事でも多くの雇人を要したことであろう…この一節は子弟間や盟友間の親愛を総ていう。)

「解釈 吉田松陰の文と詩」松本二郎 著 松蔭神社 発行 より転載 


維新で活躍した志士たちが勉学に励む

天皇陛下行幸記念碑


明治維新胎動之地の碑

松蔭神社の鳥居


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