【 旅の栞 】

丈部大麻呂:いちはら探訪

輝かしい黄金発見者

 天平二十一年(七四七)奈良東大寺の慮舎那仏造営に際して、陸奥から黄金900両が献納された。この陸奥からの貢金は日本で初めて金が発見されたということで、天平感宝と改められ、多くの官人に叙位・昇叙の恩典が与えられ、諸国の・田租・調庸を免ずる等、国を挙げて慶祝した。貢金の特勳者である陸奥国守百済王敬福は従五位上から従三位に、丈部大麻呂(はせつかべおおまろ)は無位から従五位下に直叙され、共に破格の恩典に与ったのである。大麻呂が上総国司であつた敬福に従って、陸奥に降りてから四年後の出来事である。
 身分の低い大麻呂が、国司という高官と意気投合して、陸奥に降り砂金探査、産金経営という、我が国では且って無い大事業に取組んだ経緯は全く不明であるが、白丁とはいえ、東夷の荒くれを従属させる豪胆と、統率力を持った、信頼に足りる優秀な人間である事を敬福が認め、約六ヶ月という短い出会いであるが、上総国司在任中に意気相通じて、陸奥転出の際に同行させたものであろう。そして黄金貢納という大事業完遂の後は、身分を越えて固い絆で結ばれた事は想像に難くない。
 今から千二百年程前、聖武天皇の発願に依り、国中連君麻呂等によって五丈三尺寸(約十五米)という巨大な金剛製慮舎那仏・奈良東大寺大仏が鋳造された。この大仏の完成を前に聖武天皇は塗金用の金が大巾に不足し、八方手を盡くしても補充できず苦慮していたところ日本には産出されないと思われた黄金が陸奥国司百済王敬福より陸奥国小田郡から産出された黄金900両(十二.六s)を献納して来た。塗金総重量四千百八十七両一分四銖(約五八.五s)の内約五分ノ一相当の黄金が貢納された事になる。聖武天皇はいたく感激され、これを慶祝して年号を「天平感宝」と改元され、天平二十一年四月朔、東大寺大仏の前に行幸され、黄金発見を寿ぐ史上例のない長文(詔勅)を奏上された。

丈部大麻呂

 この陸奥国に於ける金採掘者は、日本の正史である「続日本紀」に「獲金人上総国人丈部大麻呂並従五位下」と記すのみであるが、彼の本貫地は市原であると考えられる。それは上総国司であつた百済王敬福が、天平十八年九月陸奥国司として陸奥に赴く際に、上総国府の小壮武人であった丈部大麻呂を同国に伴って行ったものと思われ、市原の人物とみても大過ないと考える。これに関しては、涌谷町元議会議員・高橋高志氏や京都文教短大名誉教授・中山修一氏等の古代史研究家も一致した見解である。丈部という人物について『千葉県の歴史資料編考古3』に「市原郡には丈部の存在を認めることはできない」とあるが、『正倉院調庸綾絶布墨書銘文』には市原の郡司大領丈部直国直・同郡司主帳丈果安と共に、農民丈部□男の3名の名前が記されている。』これは市原郡に丈部氏を名乗る郡司級の人物がいたことの証明ではないだろうか。黄金発見者は、その郡司クラスの一族ではないかと思われる。奈良の大仏で有名な東大寺金堂の本尊。この鋳金に市原の人が関わっていたと考えると、大仏を鑑賞する目や思いの馳せ方もちがうかもしれない。

黄金の産地 宮城県遠田郡涌谷町黄金山

 また、東大寺に貢納された黄金の産地は、現宮城県遠田郡涌谷町黄金山・式内社黄金山神社付近である。大友家持は「陸奥国より金(くがね)を出せる詔書を賀く」和歌に、万葉集巻十八 海行ば水潰く屍 山行ば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはは為じ と詠んだ。この歌は吾々の意識の中の鎮魂の歌のイメ−ジが強いが、金発見に対する歓喜の歌であり、大伴氏が天皇に忠誠を誓った決意表明の歌であるが丈部大麻呂の黄金の発見に依って顕現した歌であることに注目したい。
 大麻呂は陸奥よりの黄金貢進の九年後の天平勝宝三年(七五九)斎宮寮(国指定史跡・三重県多気郡明和郡町大字斎宮及び竹川)の長官で、従五位官を長官とする令外官で主神司・舎人司等十三司をもって構成し、頭以下百三十人前後の官人と、六百人以上の雑役人が勤務するその頂点に立ってのである。
 この斎王宮は「斎王」の宮殿のある内院、斎宮頭の居館のある中院があり、前途の十三司の外院をもつて構成する大宮衛である。斎王とは歴代天皇の未婚の皇女が、天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に奉仕するのが主務ある。大麻呂は淳仁天皇の皇女安部内親王に天平字五年(七六一)正月まで仕えた。

幻の都 長岡京

 長岡京は実態のない「幻の都」と考えられていたが、中山修一氏によって大極殿跡が発見されたことにより本格的調査が行われ、その京域は京都市西南部から向日市、長岡京市、大崎町の一帯に及ぶことが確認され、その規模は平城京に匹敵する宮都であることが明らかとなつた。大麻呂は長岡宮の建設の功により延暦三年十二月従五位上に昇叙の後、織部正、隠岐国司と累進した。隠岐国司は遥任が大部分で、直接現地に赴任した国司はすくなかったと推定されており、大麻呂も遥任国司であつたと推量される。日本古代史上最も輝かしい黄金発見者として、国の正史に名を丈部大麻呂を、市原の偉人として顕彰したい。

千葉県文化財保護協会評議委員  著作 谷嶋 一馬 
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