【 旅の栞 】

むかしばなし《第二話》:いちはら探訪


【シンケの稲荷様】

北青柳の馬踏を調査する内に市原市の緑地公園内に旧海岸を思わせる道や古木がある。松林の一画に古い稲荷神社が祭られている。この緑地公園を管理依頼されている齋藤氏によると、昔からこの地にあり公園を守っているとの事、鳥居は三度取り替えたが社は時代を感じさせる。
この稲荷様を近所の佐久間のお婆さんに聞くと、約73年前(昭和9年)に「ツバナ」を取りにこの地まで遊びに行き、喉が渇くとこの家の井戸で水を飲んだ記憶が在る。泉のように甘い水がこんこんと涌き大変美味しい記憶がある。当時、この地に通称オンちゃんと呼ばれるお爺さんが一人で小さな家暮らしていた。電気はなく石油ランプの生活で一月に1度筒袖の綿入れを着て、一升瓶を持ち夕方石油を買いに来ていた。私の祖父が万屋をしていのでお婆さんは子供ながら覚えている。祖父の万屋では、当時、キンツバが一個二銭で売られていた。その後オンちゃんは居なくなり家は壊れ、稲荷様と井戸が残った。井戸はいつも美味しい水を吹き上げていた。泉の廻りにセリが自生しこれも又大変美味しい思い出です。と昔を語ってくれた。

高山(砂山)

北青柳の村境の先の松ヶ島に大きな砂山があった。平坦な千種村に2箇所程山があるが、其の一つが高山である。高さは5〜6メ−トルのススキが生茂る岡で頂上に小さな社があった。松ヶ島地区では子字名で横山と呼ばれている。この山で狐にまつわる話を聴くことがある。
私は砂山でどうして棲息できるか疑問であった。佐久間のお婆さんや市川のお婆さんによると、昭和十二年頃は松、欅、榎、桑が生茂り昼でも薄暗い山であった。戦時中に立木は伐採されたようである。戦後は砂山と化し、この砂が宅地に運ばれて庭砂に利用さらたり、苗代の土に混ぜて苗の根を傷めずに抜けることから、近くの農家は大八車やリヤカ−で運んだそうです。

■佐久間のお婆さんの話。約75年前の出来事
母親と出津の村に行き、用事が延びて帰りが夜中になった。松ヶ島の村中を過ぎて、高山にさしかかると、提灯の明かりが見える。家族の者が帰宅が遅いので迎えにきたと思い、近かずくと、小さな男の子が冬なのに浴衣を着て、小さな提灯をかかげて無言で立っている。母親がいきなり履いていた草履を手に持つように言われ、二人で一目散に走った。小さな男の子も追い掛けてくる。時間が掛かったがようやく北青柳の村中まで逃げた。距離にすれば200メ−トル位だが、なかなか早く走れず後ろに曳かれているようで前に進まない。生涯あんなに疲れた事はない。

■市川のお婆さんの話。約75年前の出来事
出津から青柳に豆腐屋が天秤棒の桶に豆腐や油揚げやがんもどきを入れて商いにきていた。何時もは夕方までに売り切れて軽くなった桶を担いで帰って行った。その日は全然商いが上手く行かず、村の家々に明かりが灯り夕膳が始りだした。豆腐屋は笛を吹き続けたが、一向に声が掛からない。今日は売れないので松ヶ島を通り抜け自宅に帰ることにした。高山に近ずくと、「豆腐屋さん」と呼び止められた。今日は売れ残りが沢山あるので、愛想よく返事をして呼ばれた方に歩きだした。この辺には珍しい程の立木と坂道、何年もこの辺で商いをしているが始めてのお客さんだと思い、桶の品物を見せたら油揚げ、がんもどきを総て買ってくれた。残り物なので安くしますからと豆腐をすすめたが、これはいらないと言う。沢山のお金を貰い今来た坂道を下り安堵感から疲れが出て桶を抱えて眠ってしまった。夜が白々と明けたので目をさまして懐の財布を見て驚いた。あれだけいただいたお金は全て木の葉でした。 「シンケの稲荷様」 執筆者 小倉澄夫

【キツネの恩返し】

今から一昔前の松ヶ島は波静かな浜と田園の広がる長閑な里であった。この村の村外れに高山という砂山があった。この砂山に一匹のキツネがいつの頃からか棲みついていた。明治の中頃のことであるが、判が台の弥平次の家の蔵の中で妙な泣き声が聞こえるので、そこの婆さんが覗いてみると、キツネが子を生んでいるのを見つけた。そこで婆さんは早速お粥を作って与えると、何とキツネはそのお粥を美味しそうに食べるでねぇか、婆さんは可哀想に思いそれから毎日お粥を作って食べさせたと、日にちが経ったある日、そのキツネが鳥を咥えてもってきたでねぇか、畜生でも恩返しをしたんだと今でも語りぐさになっている。
※この話は徳増氏が祖母から聞いた実話である。伝承者 徳増輝男氏 話者=斎藤 廣氏

【美人に化けたキツネ】

昭和30年の春のことである。この頃はまだ結婚式は自宅で行うのが普通であった。松ヶ島の「はんじゅや」では長男の祝言に呼ばれた客の一人が、披露宴が終わってほろ酔い機嫌で帰ろうとして涼風庵(無住の寺)の所までくると、そこに見慣れない娘が立っていて、しきりに呼んでいるので近寄ってみると、その娘は振り向きもせず歩き始めたので一緒に歩いたところ、なんと何処までも歩き続け、結局一晩中歩かされてしまったという。これも横山や高山にいたキツネの仕業ではないかと語り草となっている。
※横山と高山は千年前松ヶ島地区内を流れた古養老川によって形成された堆積砂層である。この砂山は土木工事の用土に使われ消滅した。話者=斎藤 廣氏

【通いなれた道の筈だが】

鵜縄漁の漁師だった徳兵衛の親父さんが、夜遅くまで仲間と五井で呑んで、ほろ酔い機嫌で自転車で帰ってきて、村の入り口の四つ角を曲がって自宅の近くに来た筈だがなかなか自宅に到着できない。それもその筈、松ヶ島の横山の近くから田圃の中のあぜ道を自転車を曳いて、その果て田の中歩き回っていたという。明け方になって自宅についたという。これは本人の述懐である。

千葉県市原市「市原を知る会」問い合わせ先 0436-22-3817 谷嶋一馬。 

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