【 旅の栞 】

平安時代初期の鉈彫菩薩立像:いちはら探訪

【聖観音菩薩立像】

蓮蔵院は市原市引田に所在する小寺院で、平安時代の初期に慈恩(生歿年未詳)によって創建されたと伝えられる。この像は三十三る年に一度のみ開帳される霊験ある秘仏として大切に扱われており、この地域でもあつく信仰されている。[千葉県文化財指定]

一メ−トル余りの小像であるが、胴が引き締まって下部には張りがある充実した表現で、厳しい表情をしている。頭部から足(ほぞ)までを針葉樹の一木から彫出する。ただし、右手の外側部と左腕の肘から先の外側部は別材を足して留めているが、この部分にもノミ目を刻んでいる。制作時期は量感を追及しない作風などから十一世紀前半頃と推定されるが、できるだけ一本の木から像を造りだそうとする意識や、胸飾を胸から刻み出す表現などは古式であり、古い一木彫の伝統を伝えている。

頭部は滑らかに整えるが、側頭部と頭髪部を除き、手先や足に至るまで全身にノミ目を刻む、鉈彫の典型的な作例である。 千葉県内でも三例を数えるのみで市原市内では唯一の作品です。 〈蓮蔵院所蔵〉 
     資料出展「仏像 一木にこめられた祈り」より掲載
 〈交通〉JR内房線五井駅から海上農協行き小湊バス神代下車徒歩約10分

【引田の聖観音にまつわる伝説】

むかし、行基菩薩が諸国巡行の折、但馬国船井郡より小船に棹し上総国市原郡五井村洲崎(岩崎)に上陸したが、長い旅路に疲れていつか、うたた寝した。その折の夢に、水中に長さ三尺程の香木が横たわっていたが突如として百尋ほどの大蛇に化し、雷光のような眼つきで行基をひと呑みにしょうと迫った。すると、一老翁が現れて行基に向かって霊木の精である。恐れるに及ばんと告げて姿を消した。天平十年三月、行基はこの霊木をもって聖観音像を刻んだと云う。この聖観音はあまり例のない鉈彫りの仏像で著名である。現在県指定文化財となっている。 採話 平野元三郎(故人) 斉藤延太郎(故人)

※行基に関する伝承は県内各地にあるが、行基が房総に巡錫した記録はない。この伝承は昭和二十年後半代斉藤氏の情報により、平野氏(友納千葉県知事の文化財顧問)が採話したと記憶する。(谷嶋)

市原の木造彫刻文化財

【木造地蔵菩薩坐像】

(山口)千葉県文化財指定
木造の地蔵尊では全国一大きく、坐像でありながら像高2.75mを測ります。左手に宝珠、右手には錫杖を持って歩き廻り、民衆の願いや苦しみ救う姿を表しています。ヒノキ材の寄木造で、頭・顔・胸・手など衲衣がかからない部分は漆箔、衲衣には色彩が施されています。後世の手が加えられた顔立ちは、室町時代以降に見られる面長な顔立ちですが、衣のひだの彫が厚く深いことや、奥行きの深い体部の特徴から鎌倉時代の末期頃の作品と考えられています。(山口地区管理)
〈交通〉小湊鉄道上総久保駅下車徒歩30分。

【木造聖観音立像】

(風戸)千葉県文化財指定
像高3.32mを測り、木造では千葉県最大の仏像です。仏像彫刻では珍しい桜の巨木を使用した一木造で、頭部から地付けまで中刳りが施されています。両腕は肩で剥ぎ付け、左肘から先も剥ぎ付けられています。温容、慈悲にあふれた面相と均整のとれた肢体は、千葉県の彫刻史上欠くことのできない作品として貴重です。制作年代は11世紀前半ごろと推定され、県内木造彫刻の中でも古いものの一つに数えられます。〈日光寺所蔵〉
〈交通〉小湊鉄道光風台駅下車徒歩15分。

【木造薬師如来像・両脇侍立像三躯】

(上高根)千葉県文化財指定
千葉県内の平安時代に属する薬師仏の中で、中尊と脇侍がそろって残された例は少なく、この点が高く評価されています。三尊ともカヤ材が使用されており、伝統的な一木割矧造(一本の木を割り、内側をくりぬいて造る技法)で造られています。古像としての量感と、穏和な整いを備え、衣文(えもん)を浅く彫り出す技法には、平安時代後期の特色がよく残されています。〈称礼寺管理)
  資料出展「いちはらの文化財」より掲載 〈交通〉小湊鉄道馬立駅下車徒歩20分。

千葉県市原市「市原を知る会」問い合わせ先 0436-22-3817 谷嶋一馬。


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