【 旅の栞 】

市原市の荒脛(アラハバキ)神:いちはら探訪


【上総のアラハバキ】

市原市惣社字袋尻の水田の中に円墳状の小塚があり、その塚の上に小さな石祠が一社祠ってあった。またこの塚には、一畝ほどの水田が付随し、戸隠神社の氏子が戸隠神社に奉献する米を耕作している。地元の人たちは、この塚と水田をともに「アラハバキ」と呼称し、むかし旅人が脚を洗った所だとか、戸隠神社の神が信州の戸隠から遷座した時に脚胖を脱いだ所だという口碑が伝わり、地名として呼びならわしている。

アラハバキとは、青森地方に信仰の中心を有する荒吐神のことで、東北地方で勢力を張っていた安倍氏が一族の守神としていた神である。
     
宇宙、自然、生命など森羅万象に神威を示す神として現代においても広く信仰されているが、上総では姉崎神社の末社である「粗波岐神」と、惣社の「アラハバキ」の二社だけである。しかし、姉崎神社には現在「粗波岐神」を祀った祠もなく、有名無実となっており、惣社でも「アラハバキ」を神様と思う人はなく地名のように考えられており、その信仰はすでに失われ、禁足地となっており神域ととして尊厳をわずかに残していたが、十年ほど前に耕地整理によって煙威してしまった。

アラハバキ神の表記には、荒吐・荒、荒脛、荒、履、荒脛巾、粗波岐、荒羽吐、荒波吹、荒羽貴、麁脛縢、麁脛膝、荒波婆伎、など記される。表音は、アラバキ、アラブキ、アラハバキ、アラハブキ、アラフブキなどである。

   《資料》荒脛神(あらはばきがみ)
     
脛というのは、脛巾の略で、旅のときなどすねに巻きつける布のことである。いわゆる後世の胖脚と思えばよい。この脛を冠した神社、というより祠がある。宮城県多賀城市市川小字伊保石にある荒脛神社がそれだ。
祠の掲額には「道祖神」と書かれ、明治三十二年とある。これから考えると、道祖神というのはあとから付けたもので、はじめは旅の神であったことは確実である。

土地の人の話だと、昔は藁で作った脛巾(はばき)や、布で作った脚肝を供えて祈願したそうで、旅の道中無事を祈る神であった。それが次第に解釈がひろがり、今では足に限らず、腰から下の病に効験があるということだ。事実奉納されているものを見れば一目瞭然である。
   
  たとえは脛や脚胖も供えられているが、多くは木製の男根、布製の女陰である。当然性病や婦人病の平癒を祈ったもので、今でも仙台や釜石の花柳界の女性のおまいりが多いという。ところが供物の中に鋏があった。それも相当の数である。土地の人の話によれば「病の根を切る」ということらしい。 --川口謙二「宿なし百神」より-- 
 
     千葉県市原市「市原を知る会」問い合わせ先 0436-22-3817 谷嶋一馬。 

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