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切支丹信仰の里
豊臣時代に切支丹禁制
豊臣の治世に端を発する禁制から逃れたキリシタンは山深く入植し、それでも迫害を恐れて表向きは仏教徒を装い強い信仰心で禁制をのりこえた。歴史的にも日本史の一時期において重要な役割を担った地域です。鷹島は元寇の激戦地であり、大島は元寇の戦場となったほか倭寇の中継地でもありました。現在、鷹島では、その歴史的特徴を活かして、元寇の歴史とモンゴルとの国際交流をテーマにした「モンゴル村」があります。また、宇久島・小値賀島は遣唐使の寄港地、捕鯨基地でもあり、黒島(佐世保市)はキリシタンの移住地でもありました。このような歴史にかかわる多くの史跡等が各地に残されています。
1603年〜1637年間は肥前唐津城主 寺沢広高の所領となり、キリスト教弾圧と検地による4万2千石という事実上無理な重税による収奪が続いました。病人のまくらもとで米粒の入った竹筒をふると重病人が起きあがる程だったといいます。その結果、1637年〜1638年の2年間において、歴史上有名な天草四郎を盟主にした島原・天草の乱が勃発し天草島民の過半数が戦死してしまいました。因みに原城に立て籠もり亡くなった人は女子供を含め2万8千人にも及ぶとい云います。
参考資料「本渡市史」抜粋 本渡市史編さん委員会 平成3年12月発行