【古代上総の道】
【市原の信仰】

滅んだ三山行人の袈裟


滅んだ三山行人の袈裟

 出羽三山行人の正装は白栲(シロタエ)の浄衣(行衣)を着用し、頭には蘿鬘(ラマン)の宝冠を戴き、肩に袈裟を掛け背に垂らす。略装の場合は袈裟を肩に掛けるだけである。出羽三山に始めて登拝する者を新行(シンギョウ)と呼び、また、一回でも参拝を済ませた者は古行(コギョウ)と云う。新行が始めて出羽三山に旅立つ折りに古行が袈裟を編んで新行に贈る慣わしであった。〔写真提供 皆川 清氏〕


複雑なアワビ結び(袈裟上部)
上は谷島野地区行人作製 下は八幡・五所地区行人作製

 この袈裟は太さ十五号の綿糸を四本束にして、上部に古銭を二個組み込み、数箇所「アワビ結び」をつくり輪形に纏め、中央に複雑な「アワビ結び」を作って完成である。この袈裟も地域によって独特な作り方がある。この袈裟の編み方は難しく修得しがたいため継承者は無くなった。貴重な民族資料であるが、三山行人が亡くなると行衣等と一緒に納棺することになっている。従って、この袈裟に関しては伝世することはなく滅んだ文化遺産の一つである。

おわりに

 著名な寺院の無い青柳に何故房総で最初に出羽三山信仰が受容されその基盤が確立したのは、半農半漁と云う豊かな生活環境にあったと思われる。生活が豊かであることから言葉使い、人との対応は漁村部に比し温容であり、仏教とは異質な湯殿山修験道も受け入れる素地があつたと考えられる。等三山塚について、對馬郁夫氏と協議の結果「基壇四隅突出型方形三段塚」と名称決定した。房総に於ける民間信仰史及び文化史的にも重要な文化遺産であり、充分な保護・管理が必要である。

参考文献
 1 對馬郁夫「出羽三山信仰」市原市史 中巻 市原市
 2 對馬郁夫「胎蔵界大日如来」房総の石仏 房総石造文化財研編
 3 石田茂作他「仏教考古学講座」第三巻 雄山閣

市原地方史研究連絡協議会・研究紀要
青柳地区に於ける民間信仰に関する若干の考察
著作 谷嶋一馬
 
▲このページの上へ

Copyright © 2007 道楽悠悠 All Rights Reserved.