【古代上総の道】
【市原の信仰】

青柳三山塚の宝龕式石塔

青柳三山塚の宝龕式石塔について

 青柳の三山塚の塚上には二基の大日如来石造や、昭和三十二年四月執行された三山祭典記念碑等六基の中に県下最古とされる宝龕式石塔がある(写真上 県下最古の三山塚石塔(宝龕式三山塔) 撮影 松浦 清氏)。
 当石塔の上部に嘉永三年 戌・庚 九月十五日、同行六十人によって造立された金剛界大日如来が据えられており、この石造の基壇となっている塔身に寛永七年造立の紀年銘が刻入され、房総で最初に出羽三山信仰の拠点が当地に定着した貴重な資料があることが分かった。
 塔石塔の本来の形状は、基礎、塔身、石造の三構成と考えられるが、現状は基礎となる石製品はなく塔身と返花座の二点である。塔身は、高サ五三・五糎、横巾五一糎を測る。塔身の中央部に巾二三糎、高サ二一・五糎の龕を設ける。龕の内部は入り口下部より上部の奥に向かって斜めに傾斜する構造を呈する。仏像を安置するような底部空間はなく、幣束の類を奉納することを目的とした構造を呈する。
 塔身上部はカットされ、塔身と平面の大きさを等しくする厚さ十一糎の返花座を配する蓋石を塔身の蓋代わりに被せている。この反花座の上部に蛤座と対になる蓮華座が重なるが、この蓮華座の上部の整形痕から底辺三〇×二三糎の石造物(金剛界大日如来石造)が据えられていたことが想定される。

月輪(ガチリン)

月輪(ガチリン)

塔身上部はカットされ、塔身と平面の大きさを等しくする厚さ十一糎の返花座を配する蓋石を塔身の蓋代わりに被せている。この反花座の上部に蛤座と対になる蓮華座が重なるが、この蓮華座の上部の整形痕から底辺三〇×二三糎の石造物(金剛界大日如来石造)が据えられていたことが想定される。
 塔身の左右と裏面の三方に横巾二六糎、高サ一八糎の端正な蓮華文が蓮台として彫り込まれ、その上に直径二十糎・正円の月輪が配されいいる。月輪は、金剛界大日の象徴である。
 大日如来は昆盧遮那如来と称し、大光明遍照と記され、太陽の如き光明を具現化した如来である。密教ではこの大日如来を胎蔵界・金剛界の二尊に分ける。金剛界大日如来は仏身と頭部の背後に月輪と称する大円光を負う。胎蔵界大日はこの月輪はない。この月輪は僧侶が一心に意念を凝らし、最高の境地を求めて荒行を行い金剛頂経の説く世界観(宇宙観)を観想する象徴である。
 石塔の塔身上部に一見蓋と看て取れる反花座を据える形態の石塔は管見の範囲では例を見ない特異な石塔の一つである。蓮華座の上部に載る石造物について對馬氏と検討した結果、銘文に御宮とあるが石祠がこの上に据わることが想定され難く、蓮華座の上に据えるとすれば大日如来石造以外には考えられないとの結論達した。月輪を三方に彫っており、当然金剛界大日如来を象った舟形光背型の石造が据えられたであろうと推断される。また、本塔の形式については「宝龕式三山塔」と提案しておきたい。

市原地方史研究連絡協議会・研究紀要
青柳地区に於ける民間信仰に関する若干の考察
著作 谷嶋一馬
 
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