【古代上総の道】
【市原の信仰】

石塔銘文について


青柳及び飯沼の石塔銘文について

 市原市内に於ける三山石塔の内、青柳三山塚と隣村の飯沼三山塚の石塔銘文は、出羽三山信仰研究上重要な資料である。〈千種コミュニティセンタ−にて講演する對馬郁夫氏〉
 先ず青柳の三山塚石塔の塔身正面左右に左の銘文が刻まれている。
 (右側) 奉造立湯殿山大権現御宮
 (左側) 千時寛永七 午庚 季 十月 日 啓言 上総國青柳村  成光院
 對馬氏の調査研究により、県下で最古のものであることが確認された。これは湯殿山を信奉する修験行者が青柳村に、房総で最初に出羽三山信仰の拠点を確保した事を証する資料である事と、当地では全く伝承も記録も残されていない「成光院」と言う寺院が存在した事が確認された。
   この成光院の住職が湯殿山を中心とする出羽三山信仰の普及に協力し、供養塚の築造と石塔が造立され、その信仰が確立したものと推定される。また、隣村の飯沼地区の三山塚に寛文三年造立の大日如来石造がある。舟形光背型石塔に端麗な結跏跌座の胎蔵界大日如来像が彫られており、両側に左の銘文が刻まれている。
 (右側) 宝篋印経云若人作塔土石木以金銀銅鉛書此神呪
 (左側) 安置其中上寶塔全身舎利妙法蔵至阿迦尼・天宮中
と「宝篋印陀羅尼経」を出典とする偈頌(ゲジュ)が刻入されている。本塔は青柳の金剛界大日石塔が造立されて三十四年後に建立されたものである。因みに青柳の三山塚に胎蔵界大日を示す梵字「ア−ンク」を彫った石祠の屋根だけが、剣梵天を納めた瓶の蓋代わりに利用されている。この石祠の屋根の大きさは、軒先の巾三九糎、棟まで高サ三〇糎を測る。
 この大きさから見て小型の「宝龕型石祠」と推定される。屋根に彫られた梵字「ア−ンク」は屋根の中央に大きく力量のある彫りで刻まれている。書体から江戸初期のものと思われる。寛永七年在銘の石塔と当石祠との前後関係は不明であるが、当地域の三山信仰の先駆的役割を果たした石造物と考えられる。また、飯沼地区では、青柳の湯殿山信仰の影響を受け、胎蔵界大日を主尊とする信仰の基盤が確立したものと考えられる。
 青柳村に於いて、金・胎大日如来を主尊とする湯殿山の信仰が受容され定着したことに貢献したのは、銘文に見られる成光院であるが、同寺の住職は傑僧であったと思われる。青柳台の光明寺の南側に「上人塚」という字があり、伝承はないが上人と尊称される僧が埋葬された墓であることは明らかで、その上人とは成光院の住職ではないかと思われる。

市原地方史研究連絡協議会・研究紀要
青柳地区に於ける民間信仰に関する若干の考察
著作 谷嶋一馬
 
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