【 競馬学 】

下手な講釈聞かぬがまし


新聞紙の大見出し信用すべからず


 昔、悪太郎といわれた馬がいる。八百長事件で世間を賑わせた「山岡騒動」で、その時の特別戦の勝ち馬なのだが、八百長で勝ったのだからと評価がひくいので、以後、悪太郎君ヘソを曲げてしまい、強い馬と勝ち負けするのに、格下の弱い馬にも負けてしまう。人気になると負け、人気がないと勝つ、馬券屋泣かせぶりを発揮し、ついに新聞の文字が読めるのではないかと言われだした。そんなクセ馬なのだが玄人筋に人気があり、このクセ馬を料理しない限り馬券で絶対に勝つことが出来ないとばかり馬券研究に熱がはいった時代もあった。  競馬の技術解説的な役割を担ったような、これくらい毀誉褒貶の定まらない馬だったが、旧馬主には牧場再建に貢献、新馬主には、天皇賞・有馬記念などを勝ち抜き、名誉と大金を進呈した。是無事名馬と言って良いほどの役者ぶりを発揮し、「オテンテン」「悪太郎」という個性を返上し、悪太郎が優等生に変身、種牡馬としては、九州産馬ゴ〜ルドイ〜グルが代表産駒。  日刊、スポ〜ツ紙の競馬関係の記事が護送船団よろしく各紙、おなじような内容で紙面構成が出来ている。関東エリアでいえば、藤沢和調教師・小島太調教師の談話などが顕著で、有力馬がいるということでは理解できるが、あまりにも情報の偏りがひどい。多くの調教師がいるのに偏りがあることで、日刊の新聞紙から馬券にいかす情報は得られないし、ガセネタも含まれている。  読みたい情報・記録がすくない。役に立たない記事なら読まないほうがまし、馬券予想には弊害が多すぎる。

 だいたい騎手とか調教師・厩務員に話を聞くためだけ、馬も見ず、ただ先生を探すために飛び回っているのではないか。近づきやすい調教師、話やすい騎手にだけ取材をしているのではないか。競馬番組を読みくだき記事を書いているとは、とうてい、思えない内容が多い。全出走馬について観察、取材をしているものなのか知りたいものである。調教を全部見終わって厩舎にいって話を聞くとか、馬を傍にして取材をしているのかな。横並びの内容では疑われても仕方のないところであろうが、たとば、情報の出もとが通信社の配信であったりして。買う価値のない紙面なら読まないほうがましである。  予想担当者を含めた報道関係者は、競馬会の内部にいる人とファンとの間をパイプでつなぐ役目があるのだから、自分なりに勉強をしてほしいものである。それよりも馬の良し悪しの判断が出来ない記者が追いきりを見ているというのが問題であり、トラックマンにしても自分の好みにあった馬ばかりを評価する傾向がみられる。よりよい予想が出来ないのはあたりまえで、身内で楽しんでいるぶんにはよいのだが、商売にしているのだから、責任をもって予想をする気概を、持って取り組んでほしい。ましな、個性のある紙面づくりをめざしてほしいものです。持っている新聞で馬券ファンの競馬知識の程度がわかると言われるほど「競馬新聞」は「顔」なのです。  調教師の職分というのは、馬を調教してベストの状態にすること。ベストの状態とは、相手の馬の状態も調べなければ駄目だということ。だから、相手の馬はどこの馬、どんな馬などといっている調教師では成績があがらない。そんなコメントを信用しても馬券は当たらない。調教師・助手・厩務員等が、今日は調子がよさそうだという話に乗って馬券のヘソに持ってくる予想屋がいるが、これでは、馬券はあたらない。当てられない。  人気の作り手が、いい加減な取材で予想されてはたまったものでない。

 競馬ジャ〜ナリストとして報道をし、生業としているのだから、責任を持った記事を書いてほしい。  グリ〜ンチャンネルで調教をみて、見てきたようなウソをつき、という川柳を紙面でよんだことがあったれれども、大きなレ〜スになると、あれほどまでに多くの人が一頭の馬の談話を聞かなければならないのか、理解に苦しむのである。談話を聞かなければひとつも判らないというのはおかしなことで、調子の判断。馬の持つ格。出走してきたレ〜スの格。話を聞かなければ判断できない。結局は自分のオリジナルの予想ができない。こんな人たちの競馬談義というか講釈を取り入れては馬券の肥やしには、程遠い。やはり、自分なりの予測スタイルを作りあげ、細く、長く、競馬と馬券を、楽しみたいものです。
ウルユス嶋穴 記  

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